A shade of meaning.

2009年07月04日 22:51

「Are you sure?」(確かです?)

ネイティブよりも、それ以外の国のスピーカーやラーナーの方が
この表現に対してネガティブに捉える傾向がある?

調べてると、そんな感じなんだよね。
ためしにこないだネイティブ圏の生徒に聞いたら、そんなネガティブでもないよ、って。

実際どうなのかな。。。

たとえば、

先生「なにか質問はない?」
僕「ないよ、大丈夫」

先生「Are you sure?(ほんとに?大丈夫かい?)」

僕はレッスン中によくこう聞かれる。

たしかに、あまりに質問がなかったり、すんなり「理解できました」って
連発するときに、「Are you sure?」と聞かれるので、疑念だといえばまぁそうなんだと思う。

だけど僕的にはこの「疑念」はポジティブなものだと思うし、つまり「本当に大丈夫なの?」という
心配や確認の意味合いが強かったりする、スゴクよく言えば「思いやり」を感じるんだよね。

フォーマルかインフォーマルか、カジュアル(これは実はネガティブ)かアウテンティックか。
さらにはアメリカかイギリスか。サラダボウルのアメリカよりも、イギリスでは上下関係が厳しく、
英語もそれに対応させる必要があるとはよく聞く。

まぁ言葉って最高ムズイけど、その表現の一つの側面だけを取り上げて、それだけで
その表現そのものを封印してしまうのはなんとも勿体ない気がするんだ。

実際はどうなんだろうか。僕にはわからん。あくまで僕が感じた事です。

とまぁ、こういったことを含め、語学は面白いんだけどね★

小説

2009年07月03日 22:22

前の日記に書いた、スカイ・クロラ。

さっそく、いま原作読んでます。
まだ3割くらいかな?★

オモロイ。

そして読みながら、「思えば、ここ2〜3年、小説を読んでいなかった・・・」
という事に気づいた。

多分、一冊も読んでないと思う。

ここ数年は、必要な参考書や学問関係の本。
今しばらくは仕方ないけど、だいぶかたよってる・・・

それ以前はとくに芥川や宮沢賢治、ヘミングウェイ、カフカに村上龍、リンダハワードや
星新一なんかを好んでよく読んでいたし、友人と彼らの作品についてよく話し合った。

「そうだ、僕は小説好きだったな」と思った。

キッカケは些細なモノだったけど、今回、ひさしぶりに小説に復帰できたことは
僕にとってなんとも幸運なこと。

学問は世界をひろげてくれるけど、小説は僕を別の世界へ連れて行ってくれる。

できればまた読み続けていきたいな★



・・・

2009年07月02日 01:02

昨日調子こいてドイツ語とか言っておいて、、、

今日の英語のレッスンはヒドかった↓
全然だめだった。

勉強あるのみ。

アウフヘーベン

2009年06月30日 23:25

ありゃ、昨日アップしたのが反映されてないな、なんでだろ。

つい最近、まったくのゼロからドイツ語を始めたんだけど、、、
単語がいちいちカッコイイのね!

「ロマンシング・サガ」みたいになってる。

『ドイツ語―単語―』 ← to youtube

口にしてて気持ちいい、、文法もすごく英語にちかい、、
またひとつ、楽しい島を見つけた気分だ〜

でも英語ほど本格的に学ぶつもりは今のところはない。
英語との比較だったり、息抜きだったり、そんな感覚で有効に学習していきたい。

もうちょいやってみないと解らないけど、語学は特に場所を選ばず勉強できるし、
息抜き感覚なので、2つくらいまでならなんとか同時に進行させる事ができそう。。。。

もし手応えあれば、後期に第二言語で選択して2単位取りたいとおもってる。

ただ、単位とるための語学はあまり意味ないよね。
英語もそうだけど、机上で使うものではそもそもないし、会話は別の回路使う。

でももうすぐ経済学のテスト、、その間語学は封印かも↓
英語のレッスンだけは休まない予定ではいるが、、

どうなるかな〜

the immortality of the soul ?

2009年06月29日 00:10

今日はわかる人しかわからないお話です。

押井守作品を観たのもまったくのはじめてで、そしてこれに原作がある事すらしらず、
ただただ無垢な気持ちでレンタルしてきて観たのですが、、

やられました。

スカイ・クロラ」。← to Youtube

キルドレ。彼らは年をとりません。戦死しない限り、死なない兵士達です。

難しいとか、よくわからないとか、そういった意見もありますが、僕はそうは思いません。
すごくストレートで、シンプルな映画だと思います。

僕はこの映画で、救いを一箇所だけみつける事ができました。
クサナギが泣いたシーンに、僕は自分を重ね、僕なりの答えを見つけました。

そして映画を観終わったあと、この作品のレビューをいくつかみました。
すると、「いつもの永遠性か」という批判がたくさんありました。

おそらく、彼のいつものパターンだ、という意味もこめられているのでしょう。

先にも書いたとおり、僕は彼の作品がはじめてです。

その点、かなりの素人で、専門的に語ることもできず、また、語る資格もありません。
ただ逆に、僕は先入観も固定観念もなく、この映画をみる事ができました。

僕は、クサナギが変わった以上、最期のシーンをもってして
それを単純な「永遠性」だと呼べるのか?と、先ほどの批評に対する疑問を抱きました。

たしかに現実のパラダイムは再び振り出しに戻り、リスタートされ、ループする。
日々は繰り返し、誰が誰である必要性も、そこに命の意味を見つける意義も、ないのかもしれない。

ただし心はどうなんでしょうか。心だけは、変化しているのではないでしょうか。

大人にならないキルドレが「永遠」でも、心は僕たち人間と同じ様に変化し、それにより彼らの
環境も変化するはずです。

エンドロールの後のあのシーンは、もう振り出しではありません。
なぜなら、クサナギは既に答えを見つけたはずだからです。

僕が自身をクサナギに重ね、感じる事ができた唯一の、そして最大の救いは、まさに次の点です。

「死をもってしても、救われない」。

これこそが、僕にとっての救いでした。そして、おそらくはクサナギにとっても。

もしもそれが救いでなければ、僕はこの映画から、ひとかけらの救いも見出すことができません。
もしもそれが救いでなければ、この映画のメッセージは何か?・・僕は答えられなくなります。

批評されてる方は、もしかしたら原作を含めてのそういった感想なのかもしれません。
映画では語られなかったシーンが沢山ある可能性はあります。

もしそうで、僕が見当違いな事を言っているのであれば、申し訳ないです。
あくまで、僕は映画のみしか知らず、よって感想もその範囲を出ません。

いずれにせよ、心を大きく動かされてしまいました。

あのワンシーンは、忘れません。